スポーツ観戦が10倍楽しめる!選手まとめサイト

スポーツ観戦が10倍楽しめる!選手まとめサイト

スポーツ観戦をより楽しむために選手に関して詳しくまとめてあります。

世界ランキングトップ4まであともう一歩の錦織圭を調べた

4大大会初優勝を目指して、 錦織圭選手が全豪オープンで奮闘していました。惜しくもフェデラーに敗れましたが、素晴らしい戦いでした。これまで錦織選手は全米オープンでは準優勝がありましたが、後一歩のところで逃してきました。錦織選手がどういう選手か詳しく調べました。

錦織選手の経歴

島根県松江市に生まれた錦織選手は5歳のときに父と姉とともにテニスをはじめることになります。テニス選手の多くは家族がプレーしていることが多く、家族で楽しむことが目的だったことがいつしかのめりこんでプロを目指すのが王道でしょう。小学校4年生のときには頭角をあらわし、中国地方の代表に選出されます。小学校5年生では、シード選手の上級生を倒しその名を全国にとどろかせることになりました。

小学校6年生のときには、選抜ジュニアで優勝をして、小学生の中ではトップ選手となりますが、圧倒的な強さがあるわけではなく、中学レベルのトップ選手にはかなわないレベルでした。卓球では、福原愛選手や石川佳純選手、伊藤美誠選手が格上の社会人選手を倒すこともありますが、テニスではなかなかそのようなことはおこりません。

その後松岡修造氏から、テニスの指導を短期合宿で行う修造チャレンジの招待選手となり指導をあおぐことになります。松岡修造氏は、テニスの技術のみならずトップ選手に必要な勝つメンタルをうえつけることを得意としています。

ふがいない錦織選手に対して、「俺の方がくやしいよ」という名言を残し、錦織選手は目に涙をうかべます。


技術面でいいテニス指導者は日本国内にも10数名いますが、勝つメンタルを植え付けるという観点では、日本国内では松岡修造氏以外にはいないでしょう。本人が実績があることだけでなくそのキャラクターや幼少のころから恵まれた環境にもかかわらず勝負の世界に飛び込んで退路をたってきたその意思が特に優れた指導者としてのメンタリティーを育成したと思われます。

 

その後、能力がさらに開花し年代が上の格上選手にも勝利するようになります。錦織選手は松岡修造氏の指導に関して評価しているコメントがあるため松岡氏との接触はいい機会だっといえるでしょう。

推薦を得て渡米

ソニー創業者の盛田昭夫氏の弟である、盛田正明氏が運営する「盛田正明テニス・ファンド(MMTF)」に応募し、ここでアメリカの名門テニススクールであるIMGアカデミーのコーチに認められ2週間の短期留学を果たします。アジア諸国や東欧はテニスの環境は整っているとはいいがたいため渡米する選手が多くいます。ドーピング違反で、現在プレーを停止しているマリアシャラポア選手も若くしてロシアを離れ、テニス人生のほとんどをアメリカで過ごしていました。このようにアメリカに行く機会を得ることは非常に重要であります。

最終的に盛田正明テニス・ファンドの特待生となり、本格的な渡米をはたします。日本国内では地元の強豪海星中学に進学するも拠点は基本的に、アメリカにおく生活が続きます。日本人にとっての課題である、英語や外国でのコミュニケーションをクリアしテニスもぐんぐん上達していきます。最初の関門をクリアしアメリカ国内でも優れた若手選手としてフィーチャーされはじめます。

f:id:sportsmania:20170116133743j:plain

 

15歳から17歳にかけては、ジュニアの大会を中心に勝ち続け、トップ選手の仲間入りを果たします。同時に高校中盤からは、世界のトップ選手からも勝ち星をあげ、シニア(プロ)になれる実力を証明しました。海外にいたものの、すでに日本ではトップクラスとなっており、実質的に添田豪選手につぐ存在になりはじめました。

プロへ

17歳のときにプロへ転向します。世界の超一流選手の中では普通のことですが、日本人選手としては異例の速さです。高校生がプロですが、このころすでに錦織選手は高校生という枠組みで考えておらずプロとしてのマインドができあがっていました。

錦織選手はジュニアのころからシングルスというよりはダブルスで活躍していました。杉山愛選手をはじめ日本人はシングルスよりもダブルスでの成果がでていたので、シングルスで世界活躍する日本人がでてくるとは思っていなかったのが正直な感想です。

ジュニア時代からラファエルナダル選手の試合前の相手をつとめたり、ロジャーフェデラー選手と合宿の形で練習パートナーとなるなどトップ選手から認められるまでになりました。このころナダル、フェデラーともトップ選手で現在にいたるまで世界最上位で錦織選手としのぎをけずっています。

2008年には錦織はデルレイビーチ国際テニス選手権で世界ランク12位、そして第1シードであったジェームズ・ブレークを破り、ツアー初優勝を達成しました。日本人男子選手がATPツアー制覇を制覇したのは、松岡修造氏以来で2人目の快挙です。ATPツアーとは男子のプロテニス協会が運営する大会で年間67大会が開かれています。4大ツアーとは違いほぼすべてのトップ選手が必ず参加する大会ではありませんが、必ず世界ランキング上位の選手が参加する大会で賞金規模も億単位になってきます。

世界ランキングも上位50に入ろうかというときにけがをしてしまい1年近くケガに苦しむことになります。その間ランキングが落ちてしまい、一時期は錦織選手は苦しい状況になりました。

しかし、復帰後はATPの下部大会で優勝し続けランキングを回復させます。チリッチに勝った試合が粘り強く復帰を印象付けました。

2011年から20代前半にかけては世界ランキングがじわりじわりと上昇し続けています。2011年に当時世界ランキング1位のジョコビッチに勝利をします。押され気味のラリーでも粘り強く走り続け、一瞬のスキを見逃さずにフォアやバックで決めて何とか勝利し、日本中の注目をあつめました。一方、世界では、錦織選手がトップ選手に勝つことに驚きの声はあがらなくなり、4大タイトルに近い選手といわれるようになりました。

2012年には宿敵ツォンガをやぶり全豪ベスト8に 輝きます。ツォンガの強いサーブを必死に返しボールにくらいつく錦織選手が特に印象的でした。

2014年にはなんと世界5位にランキングします。全米オープンではチリッチに敗れるものの、ラオニッチ、ワウリンカを破り世界に錦織ありといわしめました。決勝戦の盛り上がりがいまいちでしたが、ここで優勝していれば...時代もかわっていたかもしれません。ランキングでもジョコビッチ、ナダル、フェデラー、ワウリンカと、世界で有名な一流選手と肩を並べます。この年は年間賞金も4億円を超えます。スポンサー料も入るので錦織選手は超一流のアスリートとなりました。

2015年は、世界4位になるものの全体的にいまいちな一年でした。

2016年はリオデジャネイロオリンピックで銅メダルに輝きます。マレーに敗れるものの、ナダルに勝利しました。ナダルへの勝利はかなり厳しいのではと言われていたなかで結果をだしました。

錦織選手の熱愛情報

錦織選手はトップアスリートでありながらたまに週刊誌をにぎわせています。2008年には最近結婚をした福原愛選手との熱愛が発覚します。福原選手とはそれほど長くは続きませんでしたが、当時は錦織選手が10代だったこともあり暖かい目で回りから見られていました。

f:id:sportsmania:20170116201602j:plain

その他ゴルフの宮里美香選手とも熱愛らしきことが報じられていました。アメリカで昔知り合い仲がよいと言われています。

f:id:sportsmania:20170116201608j:plain

体操の坪井保菜美選手とは結婚間近とまで言われており、錦織選手の試合に帯同するなどほぼ、奥さんではないかとまで言われました。しかし、破局を迎えます。親に紹介するなど、話は進んでいたにもかかわらず。

f:id:sportsmania:20170116201633j:plain

その後観月あことの交際が報じられました。これまではトップアスリートばかりでしたが、モデルだったので周囲からは驚かれました。試合によく訪れるようになりますが、錦織選手の両親との関係や周りのアドバイスもあり破局に向かったといわれています。アスリートである以上早く、サポートしてもらえる奥さんがいるといいですね。

f:id:sportsmania:20170116201644j:plain

 

錦織選手の今後

錦織選手は、4大大会の優勝を目指してがんばっています。錦織選手はスピード決戦で相手が体制をたてなおしたりテイクバックをとるのを許さない、攻めのテニスを展開しています。最終セットまでもつれこんだら8割錦織選手がとってるデータが示すように圧倒的な強さがあります。フェデラー戦では最終セットで力尽きてしまいましたが。今後の大会でぜひとも活躍してもらいたいです。